ぶちこのブログ

犀の角のようにただ独り歩め

07≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031 ≫09

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

覚書~小西甚一 『俳句の世界―発生から現代まで―』

講談社学術文庫。
仕事がらみで俳句の来し方が気になり、
今頃読んでいる。
学生への講義をベースに書かれたとあって、テンポよく楽しげに進んでいる。

本題とは関係ないところで印象に残ったくだりがあった。

…(前略)何しろ芭蕉は俳諧史のエヴェレストなんですからね。骨は折れますよ。しかし、骨を折らずにこの偉人を理解しようなんて心がけは、そもそも乞食根性ですよ。ふところ手では、何も食べられません。もっとも、ポカンと口をあいていれば、なんでも食べさせてあげるといった式の教授法を振り廻す民主教育学者もありますが、そんなうまい話を信用してはいけませんね。かりにそれが有効だとしたところで、そんなことばかりで育った子どもは、大学を出るころ何をする元気も無くなり、人生をトボトボ送るほかなくなりますよ。わたくしの文章が拙くてよく通じないのは恐縮千万だけれど、なんとか理解しようとする努力だけは惜しまないでください。…(後略)

初版は昭和27年、改訂版が出たのが昭和56年、
学術文庫版の第1刷が1995年だから平成7年。
現在使用されるのが憚られる表現も含まれているが改訂を重ねてもこの部分が残っているのは、著者が意識して伝えたかったことなのだろう(とりわけ学ぶ立場にある者に)。

いまごろ読んで反省しているところ。

最初の講義から60年以上経過し(!!!)、
現在はこの「民主主義教育」が一層浸透して、受け身の姿勢がいよいよ目立つように思うのだが、
他人のことはさておき、自分の錆びついた頭をもう少し働かせなくてはと思った次第。
(文体が若干影響を受けています…)

スポンサーサイト

お母さんが読んで聞かせるお話

「金と銀で小さなお城を建てる話」、
思い出したら気になってしまって、
IMG00820.jpg
「古本屋」で見つけて買っちゃった。

懐かしい~

改めて読んでみたら、大変な作業でした。
IMG00821.jpg
これによって森の国の魔法が解けて、
お城を作ったハンスは王女様と結婚したという。

そうだったそうだった。

親方が求める馬を探して7年。
ドイツの徒弟制の厳しさも覗わせる話でありました。

昭和48年刊。
『暮らしの手帳』に連載されていたものらしい。
ちなみにA・B二冊のセットで購入。

今もだけど、
一級の画家が子供向けの本の絵を担当してて、
これは本当に大事なことだなと。

藤代清治さんの絵は子どもだった当時も印象的だったし、
今見てもやっぱり素晴らしい。
昇仙峡の美術館にも行ったほど。

収載されているお話はどれも”手垢がついていない”感じで、
他所ではあまり見かけないものも多かった。
アイヌ民話や北欧神話なんかからも題材を得ている。

『おそばのくきはなぜあかい』もそうだったけれど
(「けれども おそばは がんばりました」という台詞を思い出せたことはとっても力になった)、
ホントにいい再会ができた。

『袈裟と盛遠』

「平家物語」の時代の人で、文覚という僧がいる。
もと遠藤盛遠という武士で、ある事件を契機に出家し、各地の寺の復興や改修に尽力。
源の頼朝と親交が深く、存命中は幕府の要職に就き活躍した。

出家の発端となったのが、「袈裟御前」。
盛遠の幼馴染の女性で、既に他家へ嫁いでいたのに盛遠が横恋慕し、
袈裟の夫を殺して一緒になろうなどとかなり強引に迫ったところ、
袈裟は承知して、夜中に寝所で洗い髪を目印に夫の首を掻くようにと言う。
手筈通りに盛遠は寝所に忍び込み、洗い髪を引き寄せるとと首尾よく首を落とした。
月明かりに照らされたその首は、なんと袈裟御前のものだった。
盛遠の申し出を受ける振りをして、自分を殺させたのである。
その顔には微笑みさえ浮かんでいた。

…と、手許に本がないので記憶を頼りに。
たしか「日本の伝説」にこんな話が。
袈裟御前は貞女の鑑とされている。

袈裟と盛遠の話は「平家物語」の異本「源平盛衰記」に取り上げられているとのこと。
後程確認しておきます。

出家した時、盛遠19歳だって

この話を題材にしたのが、芥川龍之介の『袈裟と盛遠』。
短編で、全文こちらで読めます。

物語は前半と後半に分かれ、事件が起こる直前のそれぞれの独白というかたち。
どちらも複雑な内面を見せ、
それぞれが自分の心というかどうしようもない衝動と戦い、けりをつけようという。

明るい月の光、静けさや緊迫感が伝わってくる。
やっぱりこれは作者の美意識というのだろうか。

ネットで読んだ後、文庫本購入してもう一度読んだ。
やっぱり文章味わうんなら本なのかね。

原典になっている古典の逸話というのはたいてい短くて、淡々としているのに、
よくあれだけ登場人物に血を通わせられるなと思うのですが、
なんであんなに穿つのだろうというのも一読した後の感想。
かなり繊細な人だったんだろうな、とか。

でもね、
わざわざ自分の首を切らせるなんて、
どう考えてもあえて相手に大ダメージを与えるためのようにも見える。
黙って自害すればよかったわけで。

やっぱり自分の気持ちも盛遠に動いてしまって、あえて下した選択だったのかも。
歪んだ愛情と受け取れなくもない。

原典を読んで覚えた、微かな違和感を掘り下げていくという作業で、
そこは作家の資質の大切な部分。
だから文学作品としてしっかり立っているんだと思う。

セネカ

最近続けて読んでいる、セネカの著作。
セネカ(前4頃~後65)は古代ローマの思想家。
幼少時の皇帝ネロの教育係を務めた。
後年そのネロにより自死の命を受け、自ら命を断つ。

「生の短さについて」「摂理について」「怒りについて」など、
シンプルな題にひかれて。
岩波文庫から新しい訳の版が出てたのもあり。

思想そのものもさることながら、当時の世界が垣間見え、
当時から見た「昔」という感覚も興味深く、
当り前のように剣闘士が出てくるし。

読んでると気になってくるのが、やはりこうした思想の背景で、
神やストア派やポエニ戦争など、いろいろ把握しておかなくちゃという。当然だけど。

心の安定をもたらすために、どんな語り口で、どのような説得力を持たせるのか、というのが最大の関心。
やっぱりキケロに行くべきか。

『三人の隠者』

このところ続けて読んでいるトルストイの短編。
岩波文庫の『イワンのばか 他八篇』のなかの一。
ずっと以前に読んだことがあって印象に残っていた話。


ある島に三人の隠者が住んでいて、独自のやり方で神を敬い、暮していた。
この話を聴いた僧正が、その島へ行き、三人に正しいお祈りのことばを教え、
三人がそれを覚えたのを見届けて、毎日神に祈るようにと諭して島を去る。

すると、僧正の乗った船を目指して島から何かが近付いて来る。
三人の隠者が「お祈りのことばを忘れてしまったので、もう一度教えてほしい」と
海の上を裸足で駆けて来たのだ。

それを見た僧正は、自分が彼らに教えうるものは何もないことを悟り、深い敬意を示した。



トルストイはこうした宗教説話のような話をたくさん書いていて、
小さい頃は熱心な信者なんだなと思っていたが、
聖書に留まらずさまざまな経典や哲学書を読んで、独自の世界観を持っていた。
三人の隠者に対する僧正の態度からもそのことが覗える。
異端扱いしたりしないもの。

短編集には他にも、悪魔や隠者が登場する「民話」が収められており、
『人にはどれほどの土地がいるか』など迫力のある絵本になっているものもある。

どうしたらみんなが心愉しく幸せに暮せるか、というのは大切なテーマ。


ところで、
父がずっと探しているのだが、

たぶんトルストイの短編で、

  山(か森)の中で、一人の木こりが、
  「人はなぜ歌をうたうのか」と言いながら木を切る(或いは叩く)

という場面の出てくるお話、
誰か知りませんか?

現在出版されている短編集はひと通り読んだつもりなんだけど、まだ出会えず。
絶版の短編集を入手しようかと考えているところ。

『ムツイリ・悪魔』

レールモントフ作・一條正美訳 岩波文庫 1951年4月第1刷、2010年2月第4刷発行
「リクエスト復刊」。

叙事詩。
原語で読まないと何とも言えないけれど、格調高く。
それでいてほとばしる情熱。
どちらも作者自身の彷徨う魂が描かせたものだと思える。
止むに止まれず書いた、
魂の自由を求める叫びというか。

もっと若い頃に出会いたかった。
なんというか、「年上目線」になっている自分が淋しい。

リクエストした人って偉い。

レールモントフ(1814-41年)はロシアの詩人。
敬愛するプーシキンの死に際して、当時のロシア上流階級を真っ向から批判し、
そのために危険分子とみなされ、
プーシキンと同じように決闘で命を落す。享年27。

背景に帝政ロシアの階級社会や民族紛争など、当時の時代背景や社会情勢が横たわっている。何でもそうだけど。
私の子どもの頃は「ソ連」だったから、いろんな矛盾が飲み込まれて見えなかった。
今の情勢を思い浮かべながら読むと、却って通じるものがあるかもしれない。

ざっと読んだだけなので、もう一度、じっくり味わってみようと思っているところ。

先日テレビで「速読」の特集をして、自分の読書にも是非取り入れたいと思っているけれど、
詩は別物ね。
あと哲学なんかも難しいだろうな。

『もし僕らのことばがウィスキーであったなら』

村上春樹著。1999年12月15日発行。平凡社。
(1999年って、明けて11年前になるのね・・・

アイルランドを旅してウィスキー醸造所を訪ね、その土地ならではのシングル・モルトウィスキーをその酒の生まれた風土の中で味わう。いわばウィスキーの「聖地巡礼」。
著者独特の感覚と言い回しでウィスキーや風景や人との出会いを表現。
奥さん撮影の写真もステキだった。

「前書きのようなものとして」という文章の中で、

 ・・・ささやかな本ではあるけれど、読んだあとで(もし仮にあなたが一滴もアルコールが飲めなかったとしても)、「ああ、そうだな、一人でどこか遠くに行って、その土地のおいしいウィスキーを飲んでみたいな」という気持ちになっていただけたとしたら、筆者としてはすごく嬉しい。・・・

とあるのだが、見事にハマり(なんて幸せな単純さ)、

こんな幸福な出会いをしたいと思えども
アイルランドはあまりにも遠し。
せめては新しき酒瓶を・・・

アイリッシュ・ウィスキーってあまりその辺で見かけないけど、探してみようかな。

「でも経験的に言って、酒というのは、それがどんな酒であっても、その産地で飲むのがいちばんうまいような気がする」とも筆者は述べており、それは私も大いに共感するところなのだが、

行ったことのない国の酒を飲んで、あれこれ思いを致すというのもアリかと。

「産地」といえば、兵庫県に越してきて、その辺に良い日本酒があるので喜んでるところ。
・・・単なる酒飲みのたわ言になってるような・・・

良き出会いの(本との)ひとときでありました。

『朗読のススメ』

永井一郎著。平成21年6月1日発行。新潮文庫。
定価400円(新潮文庫安い!)。

著者に惹かれて購入。

永井一郎さんは長年声優として活躍。
「サザエさん」の磯野波平、「YAWARA!」の猪熊滋悟郎、「らんま1/2」の八宝斎などなど、劇場版アニメなどでも必ずといってよいほど名前をお見かけする。

声のみで表現するということについて、平明な文章で時折ユーモアも交え解説。
相手に伝えるために必要な技術や考え方を、論理的な語り口で、読み終わってみれば、深~いところにまで話が及んでいたような。
プロとしての姿勢や意識、現場でのエピソードなども面白く、あっという間に読んでしまった。

「読み聞かせ」「読み語り」などされている人にはオススメ。是非読んでほしい。
私も小学校で絵本読む前に出会いたかった。

俳句を作る観点からも共感できるところがあり、
ちょっとだけ引用↓

   
「道端にかわいい花が咲いていました」
 こういう文章のときに、やみくもに「かわいい」だけをせいいっぱい立てようとする人がいます。「かわいい」をかわいらしく言えばかわいらしさが伝わると思ってしまうのでしょう。
 そんなことで伝わるものではありません。そのかわいい花が具体的になんという花かを決定し、その花をしっかりイメージしてください。このイメージができていないために、言葉をいじることで表現しようとします。こうして「思い入れたっぷり」になってしまうのです。
   

俳句の場合、読み手が「かわいい花」の像をしっかりイメージできるように具体的な描写をすることが大事になる。
形容詞に頼ると、作者が感動したというのは分るかもしれないが、読み手が同じ風景の中に立つことはできない。
そうすると、感動を共有できない。

賛同を得た思いがして、ちょっと元気が出たところ。

『連句』

連句について、その歴史や様式、実作の際の手引などがまとめられている。
平成11年3月、「おうふう」より発行。

芭蕉の句の座など見て、楽しそうだなと思っていた。
濃密なコミュニケーションという感じで。

人数が揃わないと出来ないし、また頭数だけあればいいというものでもない。
きっと相互の信頼関係(特に文学的な)がなければ難しい。
結社の句会などで行っても、妙にピリピリするか、逆に堕落するか。

これを、「続・おひさま句会」で出来たら楽しいだろうなと妄想する。
ことばを使って、ちょっとだけ緊張感のあるやりとりが出来れば。
駄洒落もおりまぜながら(これ大事)。

とはいえ、いろいろ規則もあって難しそうなので、これから勉強。
自己流にやるにしても、基本は押えておかないと。
サイトも出てた。→連句とは?

インターネット上で、様々な形で楽しんでいる人がいる模様。
ちょっと興味を向けると、いろんな世界が広がっているのね。

今頃読んだ

「ノルウェイの森」。
文庫本で。京都タワー3階の書店で購入。
新作出版に合わせて、過去の作品の文庫本が一気に出ていた時期だった。
随筆から読み始めて面白くて(というか共感できたので)、せっかくだからこれも行っちゃおうと。
作者が神戸出身なのもご縁だったかも。

「ノルウェイの森」初版は私が高校生の頃だったかな。
とても話題になって。
私は今をときめいているものに、ちょっと距離を置く癖があって、
またその頃、どちらかというと古いものばかり読んでいたので、
結局読まずじまい。

他人より理解力の進歩も遅いみたいだし。

いまは、この作品を書いた当時の作者の年齢の方に近くなり、
「ふーん、こんな話だったのか」と。
なるほどねえ。
主人公と同年代の頃に読んでおけば、また違った見え方もしたろうに。

自分はこんな風にちゃんとケリをつけてこなかったんだな。

 | HOME |  »

「小倉百人一首」

問い合わせ先

プロフィール

ぶちこ

Author:ぶちこ
俳句をよむ。笛を吹く。
第一句集『雲の峰』
好きな俳優・・・志村 喬
Chi la dura, la vince(継続は力なり)
☆ブログ内の俳句に関しては著作権宣言しておきます。
今年の目標:減量! 最低5kg できればもっと

最近のトラックバック

月別アーカイブ

私書箱

お便り、投句(?)はこちらから!

名前:
メール:
件名:
本文:

ブログ内検索

ブロとも申請フォーム

QRコード

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。